国境を越えて伝わる文化は様々ですが、古来より衣食住に関わるもの以外は、その受け手に教養がない場合、多くは淘汰されたり、全く姿かたちを変えて伝わったりと、あまり必要とされないことも多かったのではないでしょうか。現代社会においても同じようなことが言え、文化=新しいもの、新しい刺激、新しいアイディアといった、新しいパッションで捉えた、衣食住と同等の価値観の幅を等身大に広げていきましたが、やはり根本原理は変わらず、利害があって始めて成立する“伝わる文化”は、今も昔も変わらぬことでしょう。生死に関わる重要な情報を伝える音は、その姿をどう変えようとも、本能的に必要とされます。単に芸術という分野に捉われない、時に衣食住以上の価値が見いだされ、言語を弊害とするまでもなく、自然と国境を越えてきたのでしょう。
アフリカから世界へ
アフリカからの移民により、アメリカに持ち込まれた音楽は、西洋文化の洗礼を受けながら、その時代の需要に応じて変化していきました。JAZZもその一つであり、アフリカ人の血が、人種を問わず世界に認められる結果としては、最たるものであると思います。社会的な地位の低かった移民が、それでもその貧しい生活の中で潤いを見いだそうとし、故郷を思いながら民族音楽を奏でる。小さな日常の出来事は、共感され、他の音楽文化と刺激しあい、徐々に共通の形を認識されるようになる。白人の望む音楽を提供することで発展してきたとも言われる黒人音楽ですが、それはあくまで客観的な意見であり、事実はさておき、当時の移民の人達の心の拠り所が、世界中の人達の心を豊かにするまでに発展してきたことに間違いはなく、その途上において国境という概念は意味を成さなかったと思います。
世界の音楽との出会い
今や世界中の人達に愛される音楽として、その地位を確実なものとしているJAZZですが、いまだに進化し続けようとする姿勢は、他の音楽文化を吸収し、または吸収されたり、進化の為には何の抵抗もなく何でも受け入れる懐の大きさを持ち合わせます。
ブラジル音楽の代表ともいえる、ボサノヴァとの相性は抜群で、スタンゲッツの手によってアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトの楽曲を取り上げた作品は、瞬く間にスタンダードなジャンルの一つとなりました。「イパネマの娘」や「ヂザフィナード」などは、数多くのアーティストにカバーされ続けています。
その他にも、独特のリズムを持つ、キューバ音楽との融合や、シャンソンの楽曲と取り上げた作品など、国境を越える音楽の追求は後を絶ちませんが、それはあくまで結果であり、アーティストの底なしの探求心は、そこに国境があろうがなかろうが、関係のないことかもしれません。
戦争や不況など、様々な世界情勢にも左右されてきた芸術文化ですが、それらにより閉ざされてしまった人々の歓びと悲しみは万国共通であり、その願いが平和へと繋がっていくべきだと思います。
音楽は国境を超えるのか?に対する議論なんてものは、不毛であり、音楽を楽しみ、創造するにあたっては全く関係のないことでしょう。風が吹くがごとく世界に広がる音楽は、異国の地の風と交じり合い、新たな風となる。その事象が、国境を越える音楽と表現されるだけのことであり、肌の色や言語、偏見や宗教的な制約は、音楽を創造するクリエーターの内面には無関係となります。
純粋に音楽を楽しもうとする気持ちは、本能の赴くままに国境を越えて、いつの日かその垣根を取り払い、世界の平和への架け橋となることを強く願います。